病や障害と戦っている姿をみて、勇気をもらったとか感動したとか、励まされたとか、
ポジティブな側面だけにスポットを当てることを感動ポルノと言うそうです。
先週から、有名人の方の闘病秘話がメディアを賑わしています。
勇気をもらった、励まされたというコメンテーターの方の言葉。
「なんだろうこの違和感」
どの番組やどのネット記事でも感動を呼ぶような方向性で作成されています。
「あっ。これが、健康な人と癌や障害を持つ方の世界の境界線なんだなあ。」
と感じました。
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癌患者や障害者は、勇気や感動を与えるためにいるわけじゃない。
24時間テレビのようなチャリティー番組でさえ、病気の根本的な知識より、感動をメインにした番組に作りになっています。
不治の病→諦めずに戦う→家族の愛→亡くなる。
感動ストーリーの筋書きは、いつも同じです。
癌患者になる前は、この感動ストーリーになんの疑念もなく感動して涙していました。
それは結局他人事だったから。
かわいそう、自分は恵まれている。そんな上から目線で自分の置かれた環境に優越感を感じていたんだと思います。
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かわいそうという偏見が、癌患者を孤立させている。
がんが注目を集めるのは、元気で普通の生活を送っている人でなく、亡くなられて方や癌を告知された時。
癌になったらもう何年も生きられないというイメージが未だに先行しています。
乳癌になってみてわかったことは、元気に暮らしている方もいるし、暗い思いを背負って生きてるわけではありません。
私は未だに、自分の周りの人に癌を告白できていません。
かなり元気だし、癌患者には全然見えないし、すでに体内から癌はなくなってるかもしれないし、
わざわざ告白して心配されるのもどうかな?という考えからです。
私がある友人に
「じつは最近乳癌の手術したんだよねー。」と話したら、
速攻泣かれました。
ステージ1だし、もう元気だし、友人との温度差を感じました。
本当は、「実は乳癌になってたんだよね。」
「あーそうなんだ。健康は大切だよねえ。でどこに美味しいもの食べ行く?」
くらいの話で済んだらいいのにと思います。
乳癌の告知を受けた直後でさえ、唯一告白した乳がん経験者の友人と、
「がんって言葉が重いよね。キャンとかだったら軽い感じしない?」などと冗談を言って笑いあいました。
これは、乳癌がどういうものか知っているもの同士だったから、笑いあえたんだと思います。
感動が先行する報道ではなく、知識を広める報道を期待したいです。
知識が浸透すれば、がん=死にはならないし、
もうちょっと、さらりと話し合える環境だったら、もっと助けを求められるかもしれません。
誰だって、「あのひともうすぐ死ぬのよ」って目で見られたら嫌ですよね。