乳癌治療を始めて1年半が過ぎました。
今は、タモキシフェンを毎日服用し、3ヶ月に1回に乳腺科で経過観察中です。
タモキシフェン単剤のおかげなのか、日常生活に支障が起きるような副作用は、今のところありません。
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乳癌告知直後は、自分も家族、友人も死ぬんじゃないかと思っていた。
1年半が過ぎ、告知当時を振り返ると、
「あの時なんで自分も周囲もあんな大げさに騒いでいたんだろう?」
と少し滑稽にさえ思えます。
友人A子:「死んじゃうんじゃないかと思って泣いたよ。老後一緒に旅行に行ったりできなくなるなんて寂しすぎる。」
とか、
父:「いくらお金かかってもいいから、最善の治療をしなさい!」
とか。
ありがたいお言葉をたくさんいただいたんですが、当時は、
「そんなに早く死なせるな!まだまだ生きるつもりだし、こっちが重くなるから深刻になりすぎないで!」
と心の負担になっていました。
周りが不安になればなるほど、自分の気持ちにブレが生まれ、自分も不安になる事に耐えられなかったんだと思います。
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家族や友人は、手術が終わったら、もう治ったと思っている。
告知直後はあんなに慌てふためいて、心配していた家族や友人も、手術が終われば一安心したのか、
病状のことは聞いてきません。
術後、抗がん剤治療があった場合、副作用の強い治療が続き、脱毛などわかりやすい外見の変化で、家族も1段ランクとは
いかなかったかもしれません。
私の場合、乳房全摘しましたが、パッドを利用することで、周囲に対する外見上の変化はありませんでした。
3週間で仕事復帰した際も、乳癌について話していない人には、全摘したなんて気づかれてもいません。
「ひとは、外見だけじゃわからないね。みんな言わないだけでいろいろ抱えてるのかしら。」
なんて自分と照らし合わせて周囲を見るようになりました。
先に乳癌を経験した友人の孤独がわかった。
今回感じた私への周囲の反応を、私は数年前、全く同じように友人にしていました。
30代半ばだった友人から乳癌を告白された時、私も慌てふためいたし、死ぬんじゃないかと不安になって泣きました。
その後彼女の手術が終わり、がんが体内から取り除かれると、安心して、もう治ったと思っていました。
その後、私が乳癌になりいろいろ相談にのってもらうと、
「何年たっても再発の不安は消えない。」
と心の声をはじめて聞きました。
その間旅行に行ったり楽しい時をたくさん過ごしてきましたが、そういった話は全然していなかったので、
理解しているようで全然理解できていなかったんだと逆にショックを受けました。
私には乳癌の先輩である良き相談相手がそばにいましたが、彼女は一人でこの問題を抱えていたのかと思ったら、
ものすごく心苦しくなりました。
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手術のたび家族は心配している
乳癌手術が終わり、1年たってエキスパンダー挿入手術をした際、手術当日の立ち会いは、ありませんでした。
形成外科の手術ということもあり、当日の立ち会いは不要と先生からも言われていたので、手術は一人でのぞみました。
翌日、両親が平日にも関わらず、朝一番で様子を見に来てくれました。
「昨日の夜はなんども目が覚めた。」
父がそう言うと、平静を装っているようで内心はすごく心配なんだなと感じました。
乳房再建したら乳癌だったことを忘れそうになる。
乳癌で両胸を失った日々は、さすがに毎日体をみるので、がんになったことは忘れませんでした。
エキスパンダーを両胸に入れてからは、家族と温泉旅行にも行けるし、癌になる前と同じ生活に戻りました。
おかげで、最近は自分が乳癌になったことさえ忘れていますし、家族や周囲の人たちも忘れています。
人生を楽しく生きたい!治療に振り回されない、心のバランスが大切
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とはいえ、40代半ばという年齢的なもののせいなのか、タモキシフェンのせいなのか、
以前には感じたことのない不調もたまに感じます。
いつまでも乳癌を引きずりたくもないし、かといってすっかり忘れることもできないというのが現状です。
今のところ、漢方などの薬に頼るほどではないので、これはもう、自分でどうにかするしかありません。
調子が悪い時は、堂々と怠けて、調子のいい時は頑張るでいいかなと最近思い始めました。
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